【由布院駅昔話】U字カーブと水分峠

開業当時の由布院駅と南由布駅

由布院温泉のシンボル的存在のJR由布院駅は、大正14年(1925年)7月29日にお隣の南由布駅と同時に誕生しました。
実は誕生時の名称は「北由布」駅であり、昭和25年の元日に「由布院」駅と改称されました。
上の写真は窪田勝則著「大分の鉄道」に掲載されている、左が「北由布」駅、右が「南由布」駅の昭和の頃の写真です。みなさんがイメージされる現在の駅舎は、磯崎新氏が設計し平成2年(1990年)に竣工されたものです。

本当は湯平の次は野矢だった!?

JR久大線路線由布院駅

当初の計画では湯平から直接玖珠方面に通じる久大線として計画がなされた。(つまり由布院盆地を通らずに直接野矢方面に)。これを知った速見郡北由布地区民は、我が温泉地に、鉄道が通らないと、猛烈ね、現在でいう誘致運動を展開した。その先頭にたったのが、衛藤一六氏である。地元の有力者、資産家で名高い衛藤一六氏は、政治的手腕を発揮、路線が決まりかけていた湯平ー玖珠間を、湯平より大分川沿いに、川西ー乙丸を通り、野矢に通じる現在の久大線の路線に、変更、決定させたのである。

窪田勝則ー大分の鉄道

つまり、当初の計画では「湯平」の次は「野矢」の予定が、衛藤一六さんの手腕と北由布民の支持によって今の由布院駅の場所にできたんですね。

久大線最大の難工事だった「北由布」ー「野矢」間

東に大分川と、西に玖珠川を分ける水分峠、水分トンネルをはじめ、三つのトンネルが掘られ、久大線最大の難工事で施行された。建設費も、高額に達し三百五十六万七千六百円、一マイル当たり、五十三万二千四百八十円と、小野屋ー湯平間の二倍の建設費を費やしている。いかに難工事だったか。

窪田勝則ー大分の鉄道

当時は一円あれば車や家が購入できた時代。本当に時間もお金もかかった大変な工事であったようです。それがわかっていたから当初は「湯平」ー「野矢」間で計画されていたのかもしれません。
駅や鉄道の歴史をなぞると、当時の人々の生活や貨幣価値などが垣間見られ面白いものですね。

「大分の鉄道」は由布市立図書館湯布院分館で借りられますよ。

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